EARTHIANS™の歩き方

🌿序章|扉が開かれました。—Welcome to the EARTHIANS™—

その朝、風はまだ吹いていませんでした。
空は澄んで、静けさがあたりを包んでいました。
遠くで鳥の声が響いていたけれど、それもどこか遠く、輪郭のないままで。

何かが始まる気配はまだありません。
けれどあなたは、その静けさに耳を澄ますように、このページを開いてくれました。

ようこそお越し下さいました。
ここは大人のための『学びのラウンジ』です。
急がなくていい。
誰かと比べる必要も、成果を見せる必要もありません。

私たちがこの場所をつくったのは、
日々の忙しさに追われ、自分自身と向き合う時間が持てなくなっている多くの人に、
もう一度“学びと向き合う場所”を届けたいと願ったからです。

  • 英語が思うように話せない。
  • これからのキャリアに不安がある。
  • 学ぶことが好きだったはずなのに、どこか遠ざかってしまった。

そんな気持ちを抱えながら、
ふと立ち止まりたくなったときに、このジャーナルに出会ってくれたこと。
その偶然のような必然に、まずは心からの感謝を伝えたいと思います。

おめでとうございます。

この場所を見つけてくれて、ありがとう。
それだけで、もう何かが静かに動き始めているのです。

このジャーナルは、「正解を与える」ものではありません。
ここにあるのは、私たち自身がこの学びのラウンジで感じたこと、考えたこと。
時に迷いながら、少しずつ歩んできた学びの記録です。

英語というスキルを超えて、
それが「生きること」や「働くこと」とどうつながっているのか。
自分らしさや言葉との距離感を、どう再構築していけるのか。
そんな問いに、静かに向き合ってきた軌跡がここにあります。

きっとあなたの中にも、まだ言葉になっていない思いや、
整理できないままの違和感があるかもしれません。
このジャーナルは、それらに無理に答えを出す場所ではなく、
ただそっと並んで歩くように、共に考えていくことを大切にしています。

そして、英語を学ぶということもまた、
“他者とつながるための技術”であると同時に、

“自分を知るための時間”

でもあります。

ここでは、キャリアや年齢、英語のレベルに関係なく、
すべての人に「自分の声で話す」ことの価値を大切にしてほしいと願っています。

どうか、安心してページをめくってください。
ここには、あなたを急かす人も、置いていく人もいません。

自分のペースで読んで、自分なりの答えや視点を持ち帰ってください。
それだけで十分です。

学びは「前へ進むこと」だけでなく、
時に立ち止まり、見直し、静かに気づくことからも始まります。

──風は、すでに吹き始めています。
あなたがこのページを開いた、その瞬間から。

ここは、あなたの物語に風を届ける場所です。

扉は今、静かに開かれました。

第1章|「アーシアンズ・ジャーナル」が生まれた理由

このジャーナルは、誰かのために始めたようでいて、
実は「かつての私自分自身」に向けて綴られたものだったのかもしれません。

私はもともと、英語が得意だったわけではありません。
どちらかといえば、人前で話すのが怖くて、
英文を読むことにさえ、自信が持てなかったタイプでした。

中学英語の授業中、答えがわかっているのに手が挙げられなかったこと。
海外ドラマを見ても、字幕にばかり目がいって全然聞き取れなかったこと。
“わからない”ということが、“できない自分”に直結していたあの頃。

英語は、どこか「自分とは縁のないもの」のように思えていました。

それでも心のどこかで、英語という言葉に惹かれていたのは、
「こんなふうに言えたらいいな」と願う未来の自分を、
ほんの少しだけ信じていたからだと思います。

でも現実は、想像以上にうまくいきませんでした。
リスニングが聞き取れず、スピーキングでは声が詰まり、
単語帳をめくっても、覚えたそばから忘れていく。
頑張っても成果が見えない日々に、何度も心が折れかけました。

それでも、学び続けてこれたのは、
ある日、誰かがかけてくれた、何気ない一言のせいでした。

「君に出逢えて良かったよ」
「上手く話せなくても、気持ちはちゃんと伝わってるよ。」
「あなたの話す英語、あたたかくて好きだな。」

そう言ってもらえたとき、自分の中で何かがふっとほどけるのを感じました。

“うまく話す”ことよりも、“伝えたいと思う気持ち”があること。
それが、英語の本当のスタートなのかもしれない。
そう思えた瞬間、私は初めて英語を「手段」ではなく「表現」として見つめることができたのです。

このジャーナルは、そんな気づきをくれた経験と、
それでもなお不安だったあの頃の自分に向けて書き始めたものです。

うまく話せなかった日も、言葉が詰まった夜も、
今思えば、その全部が「学びの旅」の一部でした。
だからこそ、同じように悩んでいる誰かに、
「そのままのあなたで、大丈夫だよ」と伝えたくて。
この場所をつくりました。

英語を学ぶことは、スキルの習得以上に、
自分自身と向き合うプロセスだと思います。
自信のなさや焦り、そして“本当は伝えたいのにうまく言えない”というもどかしさ。
それらすべてを抱えながら、それでも続けている人たちの姿は、どこかとても尊く、美しい。

だからこそ、英語学習という道の途中で少し疲れてしまった人に、
このジャーナルを手に取ってほしいと願っています。

この場所には、完璧な答えはありません。
あるのは、過去の失敗と、小さな気づきの積み重ね。
けれど、それこそが“ほんとうの学び”の記録だと、私は思うのです。

かつての自分に届けたいと願ったように、
今ここにいるあなたにも、この言葉を贈ります。

もし今、英語がつらいと感じていたとしても、
それはあなたの中に、伝えたい気持ちがある証拠です。
もし今、やめたくなっていたとしても、
その気持ちもまた、あなたの旅を支える大切な感情です。

だから、どうか無理をしないでください。
ただ、時々このジャーナルを開いて、
誰かの言葉と自分の気持ちを静かに重ねてみてほしいのです。

あなたがあなたであるまま、
もう一度、学びの扉を開くことができるように。
この場所は、そんな“過去と未来をつなぐラウンジ”でありたいと思っています。

第2章|英語の旅において、何度でも帰港できるように

英語の勉強に限らず、学びという旅には、浮き沈みがつきものです。
モチベーションに満ちあふれ、「もっと知りたい」「話せるようになりたい」と思える日もあれば、
ただ英単語が頭に入らず、何もかも投げ出したくなる日もある。

続けることの難しさは、始めるよりもずっと深く、静かにやってきます。

だからこそ、このメディアをつくるときに決めたことがありました。

『この場所だけは、いつでも安心して戻ってこられる場所であろう』

ということです。

それは、英語の最新トピックを追うだけのメディアでもなければ、
モチベーションを一瞬高めるだけの言葉を並べる場所でもありません。

ここは、人生に長く寄り添う学びのラウンジです。
変わり続ける日々の中で、変わらずにここに在り続ける“原点”のような存在。
まるで、自分の部屋の本棚にある一冊のノートのように、
いつでも開けて、何度でも読み返せて、
そのたびに、自分を取り戻せるようなページを目指しています。

私たちは、情報の海の中にいます。
検索すれば、英語の勉強法は山ほど出てきます。
だけど、情報が多いほど迷いやすくなる。
そして迷えば迷うほど、自分が何を求めていたのかさえ見えなくなってしまう。

だからこの場所では、
「自分がどこまで進めたか」ではなく、
「自分が何に向かいたいのか」という感覚を大切にしています。

うまくいっている時はもちろん、
学びを忘れていた時でさえ、ここに戻ってきてくれればそれでいい。
その一歩が、次の自分を育ててくれることを、私たちは信じています。

“ここに来れば、いつでも再スタートできる。”
“ここに来れば、必ず自分に合った学びが見つかる。”

そう思ってもらえることこそが、このメディアの使命です。

英語の習得は、一瞬で完成するものではありません。
むしろ、人生とともに少しずつ深まっていくものです。
だからこそ、人生のどのタイミングでも、
「学び直したい」「やり直したい」と思えた瞬間に、
そっと開ける場所をつくりたかったのです。

英語の話だけではありません。
このジャーナルには、生き方や働き方、心のあり方をめぐる話も綴られています。
それは、英語を使って“自分らしく生きたい”と願うすべての人のために──
この言葉の場所が、ひとつの支えになればと思っています。

もし今、学びに疲れてしまっていても。
もし今、キャリアや人生のどこかで迷っていても。
ここに戻ってきてくれたあなたは、もう大丈夫です。

私たちは、この場所を“港”としてつくりました。
出航していく人の背中を見送るときも、
嵐の中で戻ってくる人を迎えるときも、
何も言わず、ただここに在り続ける場所として。

あなたの人生のなかに、こうした「帰ってこられる場所」があるということ。
それだけで、人はもう一度、進めるようになると信じています。

このメディアが、あなたの旅において、
何度でも帰港できる場所でありますように。
そして、ふたたび羽ばたく風をそっと手渡せるような、
そんな存在でありますように。

🌿第3章|学びに、卒業はいらない

私たちはいつからか、学びには“ゴール”があると思い込んでしまったようです。
試験に合格すれば終わり。資格を取れば一段落。
英語が話せるようになれば、もう勉強しなくてもいい。

でも、本当の学びは、何かを「終える」ためのものではなく、
むしろ“続いていくこと”そのものが価値であり、
人生の中でずっと育っていく「人格の土壌」なのだと思います。

人生そのものが旅であるように、
学びもまた、目的地のない旅のようなものです。
地図を持っていても、実際に歩いてみなければわからない道があり、
寄り道や道に迷うことさえ、その人の歩みとして積み重なっていく。

そしてその旅路の中で、私たちは外の世界だけでなく、自分自身の姿にも出会います。

「なぜこの表現が言えなかったのか」
「どうしてここで戸惑ってしまったのか」
「本当に伝えたかったことは、何だったのか」

言葉が出てこないとき、その奥には、
まだ整理できていない感情や、未分化の価値観があることに気づかされます。
英語というフィルターを通して、自分の内側があぶり出されてくるような体験。

そうしたプロセスの中で、人は少しずつ、**「何を感じ、何を大切にしているのか」**に気づいていきます。
それは、ただスキルを積み上げるのではなく、
“どう在りたいか”という軸を持つこと──人格の深まりに他なりません。

だからこそ、私たちのジャーナルは“卒業のない場所”でありたいと思っています。

ここには、「終わったから離れる」という区切りはありません。
あるのは、自分のペースで歩き、
ふとした時に戻ってこられる、そんな“学びの港”のような在り方です。

もし今、あなたが「まだできていない自分」に不安を感じているのだとしたら、
それは、あなたがまだ旅の途中にいるということ。
そしてそれは、学びのプロセスが、あなたという人間をゆっくりと育てている最中だという証でもあります。

学びには、完成も完成形もありません。
あるのは、“今日も歩き続けている”という確かさだけ。
昨日の自分と、少し違う今日の自分に出会えたなら、
それはもう、あなたが前に進んでいる何よりの証です。

英語が話せるようになることは、ひとつの目標ではあります。
けれど、その過程で「自分と向き合った時間」こそが、
人としての在り方をかたちづくる何よりの財産になるのだと思います。

旅は、終わりません。
それは、どこまでも迷い、どこまでも育っていける自由さの証です。

あなたが歩き続けるかぎり、
ここはいつでも、“旅の途中の休憩所”として在り続けます。

卒業しなくても、ここにいていい。
立ち止まっても、戻ってきても、また歩き出してもいい。

学びは、あなたとともに、あなたの人格とともに、ずっと旅をしています。

第4章|読むというより、旅をするように

このジャーナルを初めて訪れたとき、
あなたはもしかすると「英語の情報を探していた」だけだったかもしれません。

発音のコツ、学び直しのきっかけ、キャリアにつながるヒント。
目的を持ってたどり着いたその姿勢は、とても素晴らしいものです。

けれど、ページをめくっていくうちに、
「情報」よりももっと深い、空気のようなものを感じ取ってくれる方が増えてきました。

それは、学びのリズム。
それは、ことばに対する丁寧さ。
それは、自分の歩幅で歩いていいという静かな許可。

そしてその瞬間から、このジャーナルは“読む”ものではなく、“旅をする”ものに変わっていくのです。

このメディアは、1ページ目から順番に読まなくてもかまいません。
「いま、これが気になる」と思った章を読んでいい。
途中で読むのをやめてもいい。
何日か経って、またふと戻ってきてもかまいません。

むしろ、その自由さこそが“アーシアンズの歩き方”です。

どこから入っても、どこに向かっても、
必ずどこかに「あなた自身が映る言葉」がある。
それがこのジャーナルのあり方です。

この場所は、ただ記事が並んでいるだけの場所ではありません。
実は、すべての章が“旅の物語”として設計されています。

扉が開かれる序章に始まり、
静かに旅に出て、
学びながら迷いながら、
そして、またここに戻ってくる。

一見バラバラに見える章たちも、
よく読むと、ひとつの長い航路を描いているのがわかるはずです。

だからこのメディアは、読み切るためのものではなく、人生のリズムとともに循環する場所なのです。

何かに迷ったとき。
言葉がうまく出てこないとき。
人と比べて、落ち込んでしまったとき。
何もせず、ただ誰かのことばに触れたくなったとき。

そのすべての瞬間に、この場所はひとつの“港”として在り続けます。
旅の途中に立ち寄り、また出発することもできるし、
ただ何もせずに、そっとここに身を置くこともできます。

「読む」というより、「旅する」ように。

あなたが今どこにいて、どんな気持ちでこのページを開いたとしても、
その行為そのものが、もうひとつの“旅の始まり”です。

学びは、情報の取得ではありません。
ことばを通して、自分自身と出会い直していくこと。

このジャーナルは、その旅にそっと寄り添い、
「いつでも、また歩き出せる場所がある」という安心を届けたいと願っています。

最後に、ひとつだけお伝えしたいことがあります。

このメディアには、あなたにとって「正解」を与える記事はないかもしれません。
でも、あなた自身が“感じること”“気づくこと”を信じて歩いていけるように、設計されています。

たとえ今、目標を見失っていても。
たとえ今、自信をなくしていても。

ここにある言葉が、あなたの「歩き出すきっかけ」になれば、
それが、私たちがこの場所をつくった理由です。

どうか、あなたのペースで歩いてください。
旅に地図はいりません。
風が吹く方へ。
ページが開いた方へ。

そして、また帰ってきたときには──
この場所は、きっと変わらず、あなたを迎えてくれるでしょう。

第5章|読む、気づく、羽ばたく──学びの3ステップ

このジャーナルは、「読む」ことからすべてが始まります。
でも、“ただ読む”のではありません。

本をめくるように、記事を読む。
そこに書かれた言葉が、ふと心に引っかかる。
気になった一文に目が止まり、なぜだか胸がきゅっとなる。

それは、情報をインプットするというより、
**「今の自分の状態を、言葉を通して知る」**という感覚に近いかもしれません。

私たちはいつも、自分のことをわかっているようでいて、
実は日々の中で、思っている以上に自分を見失いがちです。
だからこそ、「読む」という行為は、
忘れていた自分の感情や願いに触れるための、小さな扉になります。

そして次にやってくるのが、「気づき」。

“あれ、これ私のことだ”
“こんなふうに考えてもよかったんだ”
“ああ、あのときのモヤモヤって、こういうことだったんだな”

そんな気づきが、心にそっと風を吹き込んでくれます。
この「気づき」こそが、学びの本質であり、変化の起点。

それは知識の追加ではなく、自己との再会
過去の自分を癒すこともあれば、
未来の自分に道を示すこともあるでしょう。

そして、3つ目のステップが「羽ばたく」。

これは、何かを成し遂げることや、大きな挑戦をするという意味だけではありません。
たったひとつの気づきが、
その日を少し優しく生きられるようになること。
誰かにかける言葉が、少しだけ変わること。
もう一度、英語に触れてみようと思えること。

そんな小さな「羽ばたき」こそが、学びの証です。

学ぶことは、誰かに見せるためではなく、
「もっと自分を好きになるため」の旅でもあるのです。

このメディアは、その3つのステップ──
読む、気づく、羽ばたく、というリズムをそっと支えるために設計されています。

急ぐ必要はありません。
すぐに結果を出さなくてもかまいません。
ただ、あなたが自分のタイミングでページをめくり、
自分の感情に耳を傾けてくれること。
それこそが、このメディアが存在する意味です。

私たちは、あなたの変化を急かしません。
でも、あなたが気づき、動き出すときには、
いつでもそばにいて、その一歩を祝福したいと思っています。

読んだことが、少しでもあなたの内側で残ってくれていたら。
また次に旅に出るとき、その言葉が背中を押してくれたら。

この場所が、あなたの学びの“起点”であり、“風のきっかけ”でありますように。

読む。
気づく。
そして、羽ばたく。
そのすべてが、あなたの中にすでに備わっていることを、どうか忘れないでください。

第6章|誰かの悩みが、きっとあなたの明日を照らす

このジャーナルに出てくる言葉の多くは、
誰かの悩みや、立ち止まったときの声から始まっています。

「英語を話すのが怖い」
「勉強をやめたくなっている」
「そもそも、自分に向いているのかわからない」

そんなつぶやきのような言葉が、ここに集まってくる。
そして不思議なことに、それを読んだ誰かがふと立ち止まり、
「ああ、同じことを思っていた」と静かにうなずいてくれるのです。

悩みは、誰かにとっての“答え”ではないかもしれません。
でも、「私だけじゃなかった」という共鳴は、
ときに答え以上に人を癒し、動かす力を持っています。

このメディアが大切にしているのは、
「解決策」や「正解」だけではありません。
むしろ、“問い”そのものを、
安心してシェアできる場所であることを願っています。

「悩みがある」=「劣っている」ではありません。
それはむしろ、誰かとつながるための合図のようなもの。

英語が話せない。発音に自信がない。続かない。怖い。恥ずかしい。
それを声にすることは、勇気のいることです。
けれど、そうした声があるからこそ、
このメディアには人間らしさの温度が流れています。

誰かの悩みが、別の誰かの灯りになることがある。
「大丈夫、あなただけじゃないよ」という小さな共鳴が、
次の誰かを安心させる。

その連鎖が、静かに、けれど確かに、続いているのです。

この場所では、誰かが悩んだということが、価値になります。
言い換えれば、**悩んだ経験を“無駄にしない場”**として存在しています。

英語の勉強がうまくいかなくて落ち込んだ日。
何度も挫折して、やっぱり自分には無理かもと思った日。
もう一度やってみたいと思い直した日。

そういった感情の記録が、どれもこのジャーナルの財産です。

だから、読んでいるあなたにも、こう伝えたいのです。

今、何かに迷っているとしたら、
その感情をどうか恥じないでください。
むしろ、その悩みは、未来の誰かを照らす光になるかもしれません。

「悩み」は、共有されることで“弱さ”ではなく、“やさしさ”に変わっていきます。
問いを持つということは、変わろうとしている証。
前を向こうとしている証拠です。

このジャーナルは、そうした問いを大切に拾い上げ、
言葉にして、届けることで誰かの一歩を支えています。

あなたの悩みも、いつか誰かを助ける日が来る。
今はそう思えなくても、その灯りはどこかで誰かの空を照らしている。

そう信じられる場所であることを、
私たちはなによりも大切にしています。

第7章|登場する動物たちのこと

このジャーナルには、ときどき不思議な動物たちが登場します。
それぞれが言葉を持ち、悩みを抱え、何かを問いながら、
まるで人間のように、でもどこか動物らしく、静かに物語のなかを生きています。

英語の学びをテーマにしているこの場所に、
なぜ彼らが登場するのか──

それは、私たち自身の感情や悩みを、
“少しだけ距離を置いて眺めるため”の存在として生まれてきたからです。

たとえば、
英語がなかなか上達しなくて、焦っている自分。
自信がなくて、話すことを避けてしまう自分。
頑張っているのに、結果が出なくて落ち込んでしまう自分。

それらをそのまま言葉にすると、
ときに重たくなりすぎたり、自分を責めてしまったりすることもあります。

でも、もしその気持ちを抱えているのが、
たとえば、考えすぎて空回りするミーアキャットだったら?
自信はないけど、空に憧れているペンギンだったら?

そんなふうに、“感情をキャラクターに預けてみる”ことで、
自分の気持ちをやさしく見つめ直すことができるのです。

この動物たちは、子ども向けのマスコットではありません。
彼らはこの世界において、**もうひとりの「あなた自身」**でもあります。

言い換えれば──
動物たちは、「自分の内側にいるもうひとつの声」を、
少し違うかたちで表現してくれる存在です。

ミーアキャットのように周りを気にしてしまう。
フクロウのように深く考えすぎて動けない。
イルカのように高く跳びたいけれど、まだ自信が持てない。

こうしたキャラクターたちは、誰かのための“癒し”であると同時に、
あなたが自分自身を理解するための“鏡”でもあります。

これからこのジャーナルの中で、
彼らは時にエッセイの語り手として、
時に学びのナビゲーターとして、
そして時に“悩みの語り部”として登場します。

設定はまだすべて整っていないけれど、
だからこそ、読者の皆さんとともに育てていきたいと思っています。

物語の中で動物たちが発する問いやつぶやきが、
どこかであなたの心に寄り添ってくれるかもしれません。

英語を学ぶ旅は、ときに孤独です。
誰にも言えない不安や、うまくいかない焦りを抱えて歩く道。
そんなときに、「動物たちのつぶやき」が、
心のどこかでふっと共鳴してくれたら──
それだけで、旅は少しあたたかくなる気がするのです。

このジャーナルでは、今後もさまざまな動物たちが登場していきます。
彼らの個性や背景、価値観はそれぞれ異なり、
あるときはあなたの代弁者として、
あるときはあなたの挑戦を励ます存在として、
静かにこのメディアの風景に溶け込んでいきます。

たくさんの動物たちが、あなたの旅のどこかで現れ、
そして、何かを手渡してくれるかもしれません。

その瞬間を、どうかたのしみにしていてください。

第8章|ことばの裏側にある、“風景”を読む

英語を学ぶことは、最初のうちは「単語」や「文法」と向き合うことかもしれません。
「どう言えば正しいのか」
「これで伝わるのか」
そんな不安と手探りのなかで、少しずつ表現を覚えていく。

けれど、あるときふと気づくのです。
言葉の“意味”を追うことと、人生の“意味”を感じ取ることは、つながっているということに。

たとえば、“I’m fine.” という言葉。
教科書では「元気です」と訳されるその一文が、
ある人の口からは、ほんとうは「大丈夫じゃないけど、今はそれを話せない」という沈黙の表現になることがある。

あるいは、“You did your best.”
これもただの「頑張ったね」ではないかもしれません。
本当は、「結果が出なくても、あなたの存在は尊いよ」という、
深くて静かな愛情が込められているのかもしれません。

そうしたニュアンスの奥にある感情や風景を、
「読む」ことができるようになる。

それが、英語を学び続けることで得られる、
**“人生を読む力”**なのだと思うのです。

英語という他言語を通して、私たちは常に「意味の解釈」と向き合います。
「なぜこの単語が使われたのか?」
「なぜこの時制で話しているのか?」
「なぜ、ここだけ丁寧になったのか?」

たとえば、あるメールで
“Looking forward to hearing from you.” と書かれていたとします。
それは形式的な結びのように見えて、
その人の内面には「あなたの返事を本当に楽しみにしている」という純粋な期待があるかもしれない。

また、”Take your time.” の一言にも、
「あなたのペースでいいから、無理しなくて大丈夫だよ」
という安心感が込められていることがあります。

英語の勉強は、こうした言葉の“表面”を理解しながら、“内側”を想像する力を育ててくれる旅なのです。

そしてその旅の途中で、
“他者を読む力”は、やがて“自分を読む力”に変わっていきます。

・なぜ自分は「Sorry.」ばかり言ってしまうのか?
・なぜ「I’m not sure.」と口にするとき、少しホッとするのか?
・なぜ「I can do it.」と書きながら、どこか心がざわつくのか?

それらはすべて、言葉を通してあらわれた「自分の深層」の声です。

英語を学ぶことは、他者とつながること。
でもそれと同時に、自分自身と深く出会い直していくプロセスでもあるのです。

私たちは、母語では言えないことを英語でなら言えるときがあります。
逆に、英語になると急に言えなくなる感情もある。

それは、言葉と感情が、切っても切り離せない関係だからです。

たとえば、ある女性が “I’m scared.” と言ったとき、
それはただの「怖い」ではなく、
「この場所で話しても、笑われないよね?」という信頼を試す一言かもしれません。

また、”I want to try again.” という言葉の中には、
「もう一度だけ、自分を信じてみたい」
という、再起の願いが込められていることもある。

言葉を学ぶということは、
こうした背景や文脈を“感じ取る力”を育てることでもあります。

このジャーナルが大切にしているのは、
「英語力」だけではありません。
言葉の奥にある、その人の“人生”を読む力。
そして、自分の未来を“書き換える”力

たとえば、これから面接に挑むあなたが、
誰かの “Good luck.” の一言に、ただの挨拶以上の“想い”を感じ取れたなら。
あるいは、誰かに “I’m here if you need me.” と伝えられるあなたになれたなら。

あなたはもう、「英語を使える人」ではなく、
「言葉で誰かの人生にそっと寄り添える人」になっているのです。

言葉は、世界を広げる翼であると同時に、
見えなかった心の景色に、そっと光を差し込む窓でもあります。

このジャーナルは、
そんな“言葉の裏側にある風景”を、
やさしく、確かに、照らしていきたいと願っています。

第9章|学びの町を、あなただけの地図で歩いてください

このジャーナルは、どこから読んでもかまいません。
順番通りに読まなくてもいいし、気になったタイトルからでも大丈夫。
時には途中で読むのをやめても、また戻ってきても構わない。
ここは、あなたのペースで歩ける“学びの町”のような場所です。

町にはいろんな通りがあります。
広い大通りもあれば、静かな裏道もある。
朝の陽ざしがきれいな路地もあれば、夜にだけ灯る店もある。

そしてこのジャーナルもまた、
そんな風にいくつもの学びの小道が並んでいる町のような場所なのです。

「英語に自信が持てない」と感じたときに寄りたい場所があったり、
「自分らしさを見失いそう」と感じたときに立ち止まれる広場があったり、
「また頑張ろう」と思えたときに背中を押してくれる坂道があったり。

読むたびに、別の場所に出会える。
前に読んだ章が、今はまったく違う意味で響く。
それは、あなたの心の景色が少しずつ変わっている証拠です。

この場所には、“決まった順路”がありません。
けれど“行き止まり”もありません。
どんなに迷っても、歩いた分だけ必ず何かが残る。

それが、このメディアが「町」のように存在している理由です。

たとえば、ある人は第3章の“卒業のない学び”に心を打たれ、
そこから第6章の“悩みの連鎖”へと導かれるかもしれません。

また別の人は、動物たちの声に励まされてから、
第2章の“帰ってこられる港”の感覚を確かめたくなるかもしれません。

そのすべてが、“あなただけの歩き方”です。
人によって見える景色が違っていい。
それがこのメディアの面白さであり、優しさでもあります。

このメディアには、いくつかの“道しるべ”もあります。

「扉を開く」──世界観の入口
「学びの翼の羅針盤」──進む先に迷ったときの指針
「羽ばたくつばさ」──行動にうつす勇気をくれる記事
「小さな翼の動物たち」──共感でそっと寄り添う声

けれど、それらもまた“標識”であって“命令”ではありません。
あなたがどの道を選んでも、その選び方が正解です。

街の魅力は、整いすぎないところにもあります。
整備された観光マップには載っていない場所で、
ふと心に残る風景に出会うことがあるように。

このメディアでも、あなたの心にだけ触れるような一文が、
きっとどこかにそっと待っています。

英語学習も、キャリアの選択も、人生そのものも──
一歩進んで、また戻って、時には立ち止まって。
それでも、歩いている限りは前に進んでいます。

この場所が、あなたにとって
「歩きたくなる町」であり続けますように。

あなたのリズムで。
あなたの地図で。
どうぞ、自由に、めぐってください。

第10章|読者は、すでに旅人である

このジャーナルを開いたあなたは、
もうすでに、旅を始めています。

何かを探している。
何かを変えたいと思っている。
ほんの少しだけ、今の自分に問いかけてみたい──
その静かな衝動が、ページをめくるあなたの手を動かしました。

旅は、決意から始まるものではありません。
むしろそれは、心が動いた瞬間に、もう始まっているのです。

英語を学びたいという気持ちも、
生き方を見つめ直したいという想いも、
すべては、“旅”のかたちをしてあなたの中に芽生えました。

あなたは、すでに旅人なのです。

たとえまだ何も始めていないように感じていたとしても、
この場所にたどり着いたということが、
もうすでに「選んだこと」なのです。

「読む」という行為は、一見受け身に見えて、
実はとても能動的な選択です。
目の前にある無数の情報の中から、
あなたはここを選び、今、この言葉に出会っている。

その事実を、どうか誇りに思ってください。

旅のはじまりには、旗も音楽もいりません。
ただ、心の奥にふっと湧きあがる「何か」があれば、それでいいのです。

それは不安かもしれないし、違和感かもしれない。
けれど、その違和感こそが、あなたの旅の灯火です。

学びたい、話したい、変わりたい──
そのすべての気持ちが、あなたの翼をひろげようとしている。

ここは、旅人たちのラウンジです。
このメディアの一文一文は、
あなたの歩みを静かに照らす灯台であり、
風の向きを教えてくれる羅針盤でもあります。

だから、大丈夫。
あなたは、もう動き始めている。

たとえ迷っても、たとえ一度立ち止まっても、
その足跡のすべてが、あなたの物語をつくっています。

そしてこの物語は、あなた一人のものではありません。

この場所には、あなたと似た誰かがいます。
悩んだり、迷ったり、希望を抱いたりしている誰かが、
この同じ空の下で、旅を続けています。

ここに来たあなたは、もう仲間です。
そして、ここから先に待っている世界──
それが「アーシアンズのね」、このメディアの本質そのものです。

まだ名前も知らない誰かの物語が、
あなたの明日を照らすかもしれません。

まだ話したことのない自分自身の声が、
このジャーナルの中で見つかるかもしれません。

さあ、ページをめくってください。
旅は、もう始まっています。
そしてこの旅は、ここからもっと深く、もっと自由に、
あなた自身を連れていくことでしょう。

ようこそ、EARTHIANSの旅へ。
ここからが、ほんとうの物語のはじまりです。

第11章|アーシアンズという場所

この場所には、名前がある。
EARTHIANS──アーシアンズ。
でも、その名を知らなくても、ここにたどり着いてくれたあなたは、
もう、この世界の空気を感じ始めている。

このメディアを読んでいると、ふと気づくことがあります。
それは「情報を読んでいる」というより、
どこかの空間に“身を置いている”ような感覚。

穏やかな音楽が流れるラウンジで、
誰かのつぶやきに耳を澄ませているような、
誰とも競わず、ただ静かに自分と対話できるような──
そんな空気が、この場所には流れています。

ページをめくるたびに、
誰かの旅の途中に触れたり、
自分の悩みにそっと言葉が添えられたりする。
まるで、自分のペースで散歩ができる、
ひとつの小さな町に滞在しているかのようです。

この空間には、正解も急かしもありません。
ここには、「こんなふうに学びたい」「こんなふうに生きたい」と願う、
さまざまな人たちの物語が静かに交差しています。

誰かは、英語を通して世界とつながりたいと思い、
誰かは、言葉を通して自分自身の本音に近づこうとしている。
誰かは、人生の迷いのなかで、一行の文章に救われている。

そんなすべての「学びのかたち」が、この場所には許されています。
焦らなくていい。
競わなくていい。
自分の呼吸で、ゆっくりと“感じながら進める”場所。

この空間には、時おり動物たちの姿も現れます。
感情をそっと背負ってくれるミーアキャット。
高く跳びたいと願うイルカ。
ゆっくりだけど前に進むカメ。
彼らは、どこか私たちの内側に似た存在。

ことばにできなかった想いを、彼らが代わりに語ってくれる。
そしてその声に、読者は気づかぬうちに自分を重ねていく。

ここには、明確なカリキュラムも、終わりの時間もありません。
ただ、“学びたい”と感じた瞬間から始まる、なめらかな旅の入り口だけがある。

この場所を、もしひとことで言うなら──
それは、「学びのラウンジ」。

ラウンジといっても、静かで、あたたかくて、
誰に見せるでもなく、自分と向き合える場所。
そして、時に誰かの言葉が優しく隣に座ってくれる場所。

EARTHIANSという名前には、願いが込められています。
英語を学ぶことによって、国や文化を超えて、
“地球人”としての視点で世界と関わっていけるように。

英語は目的ではなく、翼。
この空間は、その翼を育てるための“ひととき”のようなものです。

すべての人に等しく、今からでも、ここからでも。
アーシアンズは、あなたのなかの“地球人”としての感覚を、
そっと目覚めさせる学びの場でありたいと願っています。

もしあなたが、何かの始まりを探しているなら。
もしあなたが、ほんの少しだけでも、
「変わりたい」と感じているのなら。

どうぞ、この空間に、ゆっくりと身を預けてください。

ようこそ。
ここは、EARTHIANSのラウンジです。

あなたがいつでも戻ってこられるように、
この扉は、今日も静かに開かれています。

第12章|なぜラウンジ型スクールという形をとったのか

学びとは、教室のなかで誰かが前に立ち、
一方的に語られる知識を受け取ることではないと、私は思います。

たしかに講義は知識を広く届けるための手段かもしれません。
けれど、私が心から「学ぶって、いいな」と感じた瞬間は、
そんな教室のなかではありませんでした。

それはある日、先生と1対1で言葉を交わした、ほんの短い時間。
それまでのどんな講義よりも、そのたったひとつの対話が、
私のなかの何かを確かに変えてくれました。

緊張しながらも真剣に聞いてくれたあのまなざし、
一言一言を選びながらも、私に語ってくれたあの声。
その時間の中で私は、自分が“教わっている”のではなく、
“人として向き合ってもらっている”と感じたのです。

その日を境に、先生の教えていた学問が好きになりました。
そして英語が、「ただの教科」ではなく、
「人とつながるための道」になっていったのです。

だから私は、アーシアンズをラウンジ型にしました。
大教室で講義を届けるようなスタイルではなく、
ひとりひとりの“人生”と、静かに向き合える空間をつくりたかったのです。

英語が話せない。
話したいことが言葉にならない。
自分に何ができるか分からない。
そういった思いを抱えながら、誰もが“旅の途中”にいます。

その旅の途中で、大勢の中に紛れて学ぶ場所ではなく、
一人の人間として、ちゃんと対話ができる空間があったら──
そんな思いが、今のアーシアンズの形につながっています。

ここでは、押しつけられるカリキュラムも、
一律の目標もありません。
あるのは、その人が本当に必要としている言葉を、
ともに見つけていくための「対話」です。

英語を学ぶということは、
自分の言葉で、自分の気持ちを表現できるようになること。
その過程はとても個人的で、とても繊細です。

だからこそ、アーシアンズは「プロダクト」にはなりたくありません。
学びを“商品”として大量に届けるのではなく、
“出会い”として、一対一で丁寧に差し出したいのです。

ここに来る人は、それぞれに異なる背景や葛藤を抱えています。

ある人は、何度も英語に挫折してきたかもしれない。
ある人は、自分のキャリアに不安を抱えているかもしれない。
ある人は、ただもう一度、誰かと本音で話してみたかったのかもしれない。

そんな一人ひとりに、ちゃんと目を合わせて、耳を傾けたい。
教えるというより、「ともに感じる」ような学びを届けたい。

それが、アーシアンズという場所の原点です。

ラウンジ──その言葉には、学びの手段というより、
**“人が心をひらける空間”**という願いを込めました。

お洒落なだけの場所ではなく、
カフェのようににぎやかすぎることもなく、
ただ静かに、でも確かに“あなたの言葉”を待ってくれる空間。

そこでは、英語の文法を教える前に、
「なぜ話したいのか」を一緒に探します。

発音の矯正よりも先に、
「誰に、何を届けたいのか」を聴きます。

それが、このラウンジの流儀です。

誰かと向き合うということは、
その人の物語に少し足を踏み入れるということ。
だからこそ、この場所では、急がないこと比べないこと
そして信じることを大切にしています。

私が、あの日感じたように。
たった一人の先生との対話が、人生を変えるように。
この空間も、誰かの一歩になることを願って。

ようこそ、静かな対話のラウンジへ。
ここでは、あなたの声が、ちゃんと届きます。

第13章|寺子屋・ブライタス・エンゲート──3つの扉

この場所には、静かに並ぶ3つの扉があります。
どれも目立たず、どれも急かさず、ただそこに在るだけ。
けれど、それぞれの扉の向こうには、
まったく異なる風景が広がっています。

それは、どれが正解というわけではなく、
そのときのあなたにとって、いちばんしっくりくる場所。
誰かが選んだ道ではなく、あなたの足で歩きたくなる道。

アーシアンズというこの空間には、
そんな3つの「学びの入り口」が、静かに用意されています。

ひとつ目の扉には、TERRAGOYAと書かれています。
読み方は、てらごや。
名前の響きどおり、どこか懐かしく、やさしい場所です。

ここは、英語に自信のない人や、学び直しをしたい人が、
安心して「もう一度、始めてみよう」と思える入り口。
“てらごや”には、日本の原風景のような素朴さと、
“地球語屋(TERRA+ごや)”という、言葉への遊び心が込められています。

間違えてもいい。
ゆっくりでもいい。
英語がこわいままでもいい。
そんな自分をそっと受け入れてくれる小さな学び舎。

ふたつ目の扉には、BRITUS(ブライタス)という名前が灯っています。
“Bright”と“Earth”を重ねたこの扉の向こうには、
少しだけ日常が輝いて見えるような空間が広がっています。

ここでは、忙しい日々のなかで自分を取り戻したい人が、
ほんのひととき、自分だけの時間を過ごすことができます。
それは、学びであると同時に、呼吸のようなもの。
「自分のために言葉を育てる」という選択が、
やがて人生の色を静かに変えていくのです。

英語を学ぶことが、ただの“スキル”ではなく、
「自分らしさ」を取り戻す行為になる場所。

そして3つ目の扉──そこには、ENGATE(エンゲート)と記されています。
「EN」には“縁”や“エネルギー”、“English”など、
さまざまな想いが込められています。

この扉は、本気の人がたどり着く場所。
キャリアと向き合う人、使命に気づいた人、
自分の人生に“翼”をつけたいと願う人のための、特別なゲートです。

ここには、マニュアルはありません。
あるのは、1対1の対話と、あなたの内側にあるまだ見ぬ言葉。
まるで、旅立ちのゲートのように、
ENGATEの先には、あなただけの未来が待っています。


この3つの扉は、誰にでも開かれています。
けれど、その存在を強く主張することはありません。

なぜなら、選ばれることよりも、
「ふと気づかれること」のほうが、
ずっと自然で、ずっとやさしいからです。

このメディアのどこかを読み進めていくうちに、
「あれ、この場所にはいろんな“入り口”があるんだな」と、
そんなふうに感じてもらえたら、それで十分です。

わたしたちは、何かを“売る”ためにここにいるのではありません。
あなたの中にある“学びたい気持ち”に、そっと寄り添いたいだけ。

もしも、あなたの心がどこかで動いたなら──
どこかの扉の前で、立ち止まってみてください。

選ぶのは、いつでもあなたです。
そしてどの扉も、きっとあなたに似た風を、運んできてくれるはずです。

第14章|読むというより、旅をするように

このメディアを、どう読めばいいのか。
何から始めて、どこに向かえばいいのか。
そんなふうに、少し戸惑いながら訪れてくれる方がいます。

けれど、私たちはこの空間を、
「使い方」ではなく「過ごし方」で案内したいと思っています。

ページをめくる順番は、決まっていません。
冒頭から読んでもいいし、気になったタイトルだけを開いてもいい。
一度読んだ記事に、また戻ってきてもいい。
むしろ、それこそがこの場所の“旅”の本質なのです。

この空間は、まるで町のようにできています。
広場のような記事もあれば、路地裏のような一文もある。
今日のあなたには何も響かなかったページが、
明日のあなたにはかけがえのない“手紙”になることもあるでしょう。

だから、「どう読めばいいか」は、
正直、私たちにも答えられません。

ただ、こうは言えるかもしれません。

読むというより、“旅をする”ように。

このジャーナルは、情報をまとめた辞書ではありません。
ライフハックでも、英語教材でもありません。

それは、あなたの心の風景に寄り添う、ひとつの旅の地図。
誰のためでもなく、自分のためにページをめくっていい。
立ち止まってもいい。
うまく読めなくてもいい。
わからないまま、閉じてしまってもかまいません。

でも、どこかでふと──
「また戻ってきたいな」と思ってもらえたら。
その時この場所は、静かに灯りをともして待っています。

記事の中には、「地図」のような言葉たちがあります。
「扉を開く」ではじまる章もあれば、
「学びの翼の羅針盤」や「羽ばたくつばさ」など、
いくつかの方向性を感じるラベルもあります。

けれど、それは目印であって、強制ではありません。
地図を頼りにしてもいいし、風の向くまま進んでもいい。
この空間では、あなたの読み方が、そのまま正解です。

たとえば、誰かの悩みの記事に共感したら、
その声の主をたどって他の記事に飛んでみるのもいい。
あるいは、キャラクターたちのつぶやきに導かれて、
自分自身の心の声を聴いてみるのもいい。

このメディアには、ひとつの出口はありません。
あるのは、いくつもの「還ってこられる場所」。
だからこそ、読むことそのものが、
“今の自分を知ること”に変わっていきます。

私たちは、使い捨てられる言葉をつくりたくありませんでした。
ページを閉じてもなお、心に残る“余韻のような言葉”を届けたかったのです。

何度読んでも、新しい解釈が生まれるような、
読むたびに、少しだけ自分が変わっていることに気づくような──
そんな静かな風が、このジャーナルの中には吹いています。

読むというより、旅をするように。

このメディアは、あなたが「英語」や「人生」と
どんなふうに向き合っていくかを、そっと支える地図であり、風景です。

歩いているうちに、きっと見えてくるものがあります。
焦らなくて大丈夫。
この旅は、いつでも、何度でも始められます。

ようこそ、あなたのペースで巡る旅へ。
この場所は、あなたの足音を、静かに迎え入れてくれます。

発音や言い回しではなく、“想いの響き”を大切にする理由。

第15章|英語は、表現であり、祈りである

英語を学ぶ理由を尋ねると、
多くの人が「仕事で必要だから」と答えます。
あるいは、「旅行で困らないように」「資格として有利だから」と。

それらが間違っているわけではありません。
でも、それだけでは、英語の“本当の価値”には届きません。

私たちは、英語を「スキル」としてだけ扱いたくない。
それは、ただの能力ではなく、**“表現であり、祈り”**だと、信じているからです。

英語を通して、自分の思いを世界に届けたい。
言葉にできなかった気持ちを、誰かに伝えてみたい。
今の自分のままで、何かを話してみたい──

その気持ちは、きっと誰にでもあるはずです。

私たちは、ただ便利な言語を身につけたいわけではありません。
自分という存在を、この世界にちゃんと“差し出したい”と願っている。

英語とは、そのための“手紙”なのです。

日常のなかで、うまく自分を表現できなかったこと。
日本語ではなぜかうまく言えない気持ちが、
英語だと、ふと素直に言えた。
そんな経験がある人もいるかもしれません。

それはきっと、英語が“言葉としての距離”をくれるから。
感情の輪郭を、少しだけ外から見せてくれるから。

だから英語は、祈りに似ています。

うまく話せなくてもいい。
言い間違えてもいい。
でも、「届けたい」と願ったとき、
その想いは、必ず誰かに届く。

そう信じて、私たちは言葉を磨くのです。


「英語は武器だ」と言われることがあります。
けれど私たちは、そうは考えていません。

英語は、“翼”であって、“刃”ではない。

戦うために使うのではなく、
飛び立つために使いたい。

見えなかった世界へ飛んでいくために、
まだ知らない誰かとつながるために、
そして、自分という存在を、ちゃんと世界に送り出すために。

出生──
それは社会的な成功ではなく、
「私という命が、確かにここに在る」と実感すること。

英語はそのための道具であり、
同時に、そのまなざしを育てる旅そのものでもあります。

何のために話すのか。
誰に向かって話すのか。
その問いを持つことが、きっと英語学習の本質です。


だからこそ、私たちは発音の完璧さにこだわらない。
単語の正しさだけを競わない。
ましてや、TOEICの点数や資格の数を、学びのゴールにはしない。

むしろこう問いかけます。

「あなたは、何を話したいのですか?」

あなたの中にある、まだ言葉にならない気持ち。
誰かに伝えたかったけど、言えなかった想い。
それらを少しずつ言葉にすること。
その時間こそが、私たちにとっての“英語学習”なのです。

英語とは、あなた自身をこの世界に差し出す、静かな手紙。

一通一通、その人らしい言葉で書かれていくその手紙は、
きっと誰かの心の扉を、そっとノックしてくれる。

そしてその扉が開いたとき、
あなたは世界と、静かに、でも確かにつながっていくのです。

ようこそ。
あなた自身の言葉を、育てる旅へ。

第16章|守られているから、羽ばたける。

言葉を学ぶということは、間違えることと、いつも隣り合わせです。

とくに英語を学ぶとき、多くの人がこう感じます。
「発音が違ったらどうしよう」
「変な文法って思われないかな」
「笑われたら、恥ずかしいな」

そうして、人は“話すこと”よりも、“間違えないこと”に集中してしまう。
けれど、それでは本当の学びにはたどり着けません。

学びの本質は、完璧さではなく、
「わからない」と言える勇気にこそ宿る。
その勇気は、安心できる場所でしか育ちません。

だからアーシアンズは、“心理的安全性”を、すべての土台にしています。

この場所では、間違えてもいい。
言葉に詰まってもいい。
質問の仕方が分からなくても、それでいい。

ここは、誰にも“防御”しなくていい空間です。
自分を大きく見せる必要も、
「できる自分」で居続ける必要もありません。

英語ができるかどうかよりも、
その人が“安心していられること”のほうが、ずっと大切。
心が守られているからこそ、
言葉を試してみようという気持ちが生まれる。
その小さな試みが、やがて翼になる。

アーシアンズは、そんなふうにして「英語を育てる」場所です。

私たちが目指しているのは、“正解を教える教室”ではなく、
「自分を言葉にしても大丈夫」と思えるラウンジです。

それはただおしゃれな空間という意味ではなく、
誰かの視線や評価から少しだけ離れられる、
心のセーフティ・ゾーンのような場所。

講師も生徒も、どちらが上とか下とかじゃなくて、
一緒に“言葉の旅”をしている仲間のような関係でいたい。
そのなかで初めて、言葉は「勉強」から「表現」へと変わっていきます。

「守られている」ことと、「甘やかす」ことは違います。
本当の安心感は、人を甘くするどころか、
むしろ、もっと前に進ませてくれる。

それは、まるで風のようなものです。
穏やかで、あたたかくて、
でも、確かに背中を押してくれるもの。

人は、守られているときこそ、
最も遠くまで羽ばたくことができるのです。

アーシアンズは、完璧を求めません。
求めているのは、「話してみようかな」と思える空気。

それは、ラウンジの静けさであり、
1対1の対話のぬくもりであり、
誰も笑わない、誰も急かさない、あのやわらかさです。

この場所では、発音がたどたどしくてもいい。
文法があやふやでもいい。
言葉がつまって、黙ってしまっても、それでいい。

あなたがそこにいてくれること。
あなたの中から、何かを届けたいと思ってくれること。
それが、すでに“羽ばたき”なのです。

だから、急がなくて大丈夫。
間違えても、置いていかれることはありません。
静かに、確かに、あなたのペースで言葉を育てていけます。

ここは、守られている場所。
だからこそ、あなたは自由に、どこへでも羽ばたいていける。

それが、アーシアンズという空間の、いちばん大切な“風の正体”なのです。

第17章|この場所に、卒業がない理由

「いつになったら英語って終わるんですか?」

これまで、何度かそんな質問を受けたことがあります。
まるで英語が、どこかで“ゴール”を迎えるもののように。
あるいは、検定やスコアという“ゴールテープ”を切れば、
それでもう「完了」してしまうもののように。

でも私は、そうは思わない。

むしろ、英語は人生そのものに寄り添って、ゆっくりと、ずっと育っていくもの
ひとつ何かを達成したからといって終わるものではなく、
そこからまた、あたらしい旅が始まっていくものだと思っています。

だからこそ、この場所──アーシアンズには、卒業がありません。


英語学習を、私たちはつい「目標」として捉えがちです。
TOEICの点数、海外旅行での会話、留学、昇進試験、英検、面接…。

もちろん、それらは立派な「節目」ではあります。
でも、それが「終わり」になってしまうとしたら、
あまりにももったいない。

本当は、そこからが**“自分の英語”を育てていく時間**です。

試験のための英語ではなく、
趣味としての英語、呼吸としての英語、人生を彩る英語
そうやって、英語はだんだんと「好きなこと」に近づいていくのです。

花を育てるように、
旅を続けるように、
ときには立ち止まりながらも、
この言葉とつき合い続けていけたら──
きっとその人の人生は、もっと自由で、もっと豊かになります。


アーシアンズに「卒業」がないのは、
学びを終わらせないためではありません。
むしろ、「学びが人生とともにあるもの」だという前提を、大切にしたいからです。

この場所は、学校のように通って終わる場所ではなく、
必要なときに、また戻ってこられる“ラウンジ”でありたい

英語を学び始めたばかりの頃、
あのときは英語が「壁」に見えたかもしれない。
けれど、数年後のあなたにとって、英語は「扉」になるかもしれない。

さらには、未来の自分を呼び起こす“風”になることだってある。

そうやって、同じ言葉が違って見えるようになること。
それが、本当の意味での「学びが生きている」証なのではないでしょうか。


卒業という言葉には、「終わり」や「区切り」が宿ります。
でも学びとは、本来、終わらないものです。

なぜなら私たちは、
昨日と今日で違う景色を見て、
昨日とは違う悩みを抱えて、
昨日とは違う問いを持つから。

だからこそ、同じ言葉に、違う意味が宿る。
同じ文章が、昨日よりも深く沁みる。

それが、「学びが続く」ということなのだと思います。


英語が、人生の旅路にずっと寄り添うものになってほしい。
それは単なるスキルではなく、あなた自身の“表現”であり、“翼”であってほしい。

だから、アーシアンズでは、
「いつまでに終わるか」を気にする必要はありません。
むしろ、「どんなふうに味わっていくか」に目を向けてほしい。

英語は、人生に寄り添う“趣味”にもなる。
誰かとの出会いをつくり、
自分自身と対話する時間を生み出し、
日々のちょっとした瞬間を、深く記憶に残してくれる。

たとえば、お気に入りの小説を英語で読めるようになったとき。
たとえば、外国の友人と心から笑い合えた夜。
たとえば、自分の夢を、自分の言葉で語れるようになった朝。

そんな風に、“英語のある人生”は、思っている以上に豊かで、美しい。


アーシアンズが目指しているのは、
学びを「過程」ではなく「生き方」にしていくことです。

だからこの場所には、式典も、卒業証書もありません。
けれど、旅の節目節目で、そっと背中を押してくれる言葉は、きっとあります。

もし何かを学び終えたと思ったら、
その学びを「使ってみる旅」が、また始まっていく。

もし、しばらくこの空間から離れても、
ふとした瞬間に、また立ち寄れるように──
ここには、いつも同じ椅子と、同じ光が待っています。

学びとは、完成することではありません。
学びとは、「学び続ける自分」を育てていくことです。

そしてそれこそが、人生のどこまでも続いていく、
終わりなき旅なのです。

第18章|おすすめの歩き方、あなたに合う道の見つけ方

アーシアンズという空間には、学びのための「扉」がいくつも用意されています。
TERRAGOYA、BRITUS、ENGATE──それぞれ異なる風が吹く、3つの小さな学びの部屋。
けれどそれと同じくらい、私たちはもうひとつの入り口を大切にしています。

それが、この「EARTHIANS JOURNAL」です。

講座を受けているかどうかに関わらず、
今すぐに学びを始められる場所。
誰かの言葉を読むことから、自分自身の旅を見つけていける場所。

このメディアは、アーシアンズという“学びの町”のなかにある、自由に歩ける散策路のような存在です。
何かを買わなくても、何かを始めなくても、ただ立ち寄って、感じることができる。
だからこそ、このジャーナルから旅を始める人も、とても多いのです。

この章では、そのEARTHIANS JOURNALを「どう歩けばいいか」──
あなたらしい巡り方、道の見つけ方を、そっと案内していきます。

このジャーナルには、はっきりとしたルートも、ゴールもありません。
どこから読んでもいい。どこで止まってもいい。
むしろ、あなたのペースと、あなたの感性こそが、
この空間を旅するための“正解”なのです。

でもそれでも、時に迷ってしまうことはあると思います。
「たくさん記事があるけれど、どこから見ればいいの?」
「今の自分に合うテーマって、どれなんだろう?」
「なんとなく惹かれたけど、どう読めばいいのか分からない」──

まず、大切にしてほしいのは、「惹かれる言葉」から入ること。
順番や難易度ではなく、ただ「気になる」と思ったタイトルや章を開いてみる。

たとえば、「卒業がない」という言葉に少しだけ心が動いたなら、
それは今のあなたが、「終わらない旅」を必要としているサインかもしれません。

たとえば、「守られているから羽ばたける」という章に足を止めたなら、
あなたの中に、「安心して挑戦したい」という願いが芽生え始めているのかもしれません。

人は、今の自分に必要な言葉に、自然と惹かれるようにできています。
それは理屈ではなく、もっと静かで、もっと深い“感覚”なのです。

だから、読み方に正解はなくても、“心がふるえる瞬間”は、いつだって導きになります。

ジャーナルの中には、テーマごとのタグがあります。
「羽ばたくつばさ」「学びの翼の羅針盤」「言葉の扉をひらく」など──
それぞれに、異なる“風”が吹いています。

もし今あなたが、どこか遠くを目指したいなら、
「羽ばたくつばさ」のタグから旅を始めてみてください。

もし、「自分のペースで立ち止まりたい」と感じているなら、
「小さな翼の動物たち」の物語に触れてみてください。

それでも迷ったら、キャラクターたちの声に導かれてみるのもおすすめです。

ミーアキャットのように不安を抱えて立ち止まっている自分も、
イルカのようにもっと高く跳びたいと願う自分も、
きっとあなたのどこかに、共鳴してくれるはず。

キャラクターたちは、それぞれ異なる“心の景色”を映し出す存在。
その声に耳をすませることで、自分自身の本音に出会えることもあるのです。

EARTHIANS JOURNALは、
「情報を得るための読み物」ではなく、
「自分の気配を確かめるための場所」だと思っています。

だから、このメディアは“消費される”ためではなく、
“折にふれて何度も巡ってもらう”ために設計されています。

読むたびに違う景色が見えるのは、
あなた自身が変化しているから。
英語のスキルではなく、感性や価値観の“今”を映す鏡として、
この空間は静かに機能しています。

どうか焦らず、自分の声に正直に。

目印になるのは、他人のレビューでも、人気記事でもなく、
あなたの“いまの気持ち”です。

英語を学びたい。
もっと自由に話したい。
自分らしい人生を取り戻したい。
少しだけ、心を整えたい──

そのどれもが、EARTHIANSの地図をひらく鍵になります。

この場所には、観光地のような“目玉”はありません。
けれど、静かな角を曲がった先に、とても大切な言葉がそっと置いてあることがあります。

あなたにとっての“お気に入りの通り”が、きっと見つかりますように。
そして、いつでもそこに還ってこられますように。

地図はあなたの中にあります。
この旅は、いつだって“いまここから”始められます。

第19章|CLUB EARTHIANSという灯り

EARTHIANSという空間には、いくつかの静かな灯りがあります。
学びの部屋、言葉のアトリエ、旅の記録帳──
そしてもうひとつ、これからそっと灯されようとしている場所があります。

それが、「CLUB EARTHIANS」。
このラウンジに集う人たちが、学びの旅を共にする“仲間”としてつながる、
小さくて、あたたかなオンラインのたまり場です。

ここでは、英語が流暢であるかどうかは関係ありません。
上級者か初心者か、ビジネス英語か日常英会話か──そんな線引きは、ここにはありません。
ただ、英語という翼を、自分の人生にそっと広げようとしている人たちが、
肩を並べるように集う空間です。

そこには競争もなければ、優劣もありません。
あるのは、「私も頑張ってるよ」と言える空気と、
「あなたも一緒に、どう?」と差し出される優しい椅子。

英語学習は、ときに孤独です。
誰かと比べて落ち込んだり、
ひとりでモチベーションを保てなかったり、
続ける意味を見失ってしまったり。

でも、たったひとつの声が、ひとことの共感が、
その孤独をすくい上げてくれることがあります。

「私も、昨日できなかったことが、今日ちょっとだけ分かったよ」
「今日は進めなかったけど、また明日やってみるね」
「こういう表現、素敵だね。まねしてみたいな」

そういう声が、耳元ではなく、心の隣で交わされていく場所
それが、CLUB EARTHIANSが目指している景色です。


たくさん発信する必要も、常に反応を返す必要もありません。
ただそこに在ってくれること。
ときどき顔を出してくれること。
学びの途中に、ふと立ち寄ってくれること。

それだけで、この場所の灯りは、静かにあたたかく保たれていきます。

誰かが迷っていたら、急かさずに、ただ隣に座って話を聴く。
誰かが飛ぼうとしていたら、風になって背中をそっと押す。
誰かがつまずいたら、一緒に膝を折ってみる。

そんな、人と人とのぬくもりが、いつでも戻ってこられる“学びの町”には必要だと、私たちは信じています。

CLUB EARTHIANSは、情報の交換場所ではありません。
スキルアップだけを目指すサロンでもありません。

ここは、学びの旅を続けていくための、小さな寄港地。
学ぶことが好きな人。
まだ英語に自信がない人。
誰かの言葉に救われた経験のある人。
いつか、誰かの支えになりたいと思っている人。

そういう人たちが、「ともに歩く」ということの意味を、
あらためて静かに感じられるような、そんな場所をつくっていきたいのです。


この灯りは、まだ完全には形になっていません。
けれど、それでいいと思っています。

CLUB EARTHIANSは、完成を目指す場所ではなく、育っていく場所だから。
訪れる人たちと一緒に、対話しながらかたちづくられていく、
“生成途中のラウンジ”であることに、きっと価値がある。

たとえば旅の途中で、ちょっとだけ誰かに話しかけたくなったとき。
たとえば気持ちを整理したくて、自分の声を文字にしてみたくなったとき。
たとえば、ただ誰かの言葉を読んで、あたたかくなりたくなったとき。

そんなときに、そっと開けるドアでありたいのです。

あなたがどんな場所から来ても、
どんな段階にいても、
CLUB EARTHIANSは、静かにあなたを迎え入れます。

この場所には、すこしだけ人のあたたかさが残る風が吹いています。
英語を通して、自分の人生を見つめている人たちの風。
その風に、あなたも少し、吹かれてみませんか。

第20章|この旅に、あなたの席はちゃんと用意されている

英語を学びたいと思ったとき、
こんな言葉が、ふと心によぎることがあります。

「でも、今さらかもしれない」
「もう少し若ければ…」
「みんなはもっと進んでるのに、自分だけ遅れてる」
「今から始めても、もう間に合わないかもしれない」

けれど、もしそのどれかを感じたことがあるなら、
この章は、まさにあなたのためのページです。

アーシアンズという空間には、
英語のレベルも、年齢も、経歴も問いません。
たとえ学びの旅からしばらく離れていたとしても、
ここでは「遅れてきた人」なんて、ひとりもいません。

なぜなら──
旅は、いつ始めたっていいから。

そして、あなたの席は、ずっとここに用意されているから。


アーシアンズの世界は、列車のように一斉に発車するものではありません。
むしろ、それぞれの人が自分のタイミングで乗り込むラウンジのようなもの。
この旅には「出発のベル」も、「乗り遅れのアナウンス」もありません。

あるのは、ただ、空けてある一席

あなたがそこに腰を下ろしたときから、旅が始まる。
その瞬間こそが、あなたにとってのベストタイミングです。

誰かが先に進んでいるように見えても、
誰かがもう卒業しているように感じても、
その人たちと、あなたはまったく違う旅路を歩いているだけ

ここでは、速さよりも、深さを大切にしています。
目標よりも、まなざしを大切にしています。


実は、私たち自身も、いつも旅の途中です。
教師であっても、プロであっても、誰もが「今」の自分を更新し続けています。
だからこそ、旅の途中で出会えることが、何よりうれしい。

この章にたどり着いたということは、
あなたの中に、何か小さな風が吹きはじめている証拠です。

「もう一度やってみようかな」
「少しだけ、英語に触れてみたい」
「この場所、なんだか気になるな」

そんな“ささやかな感覚”が、
旅の扉を開くための合図になることもあるのです。


英語を学ぶ理由は、ひとつじゃなくていい。
目標がなくても、構いません。
ただ、「今の自分より、少し自由になりたい」と思えたなら、
その気持ちこそが、十分な理由になります。

この世界には、たくさんのラウンジがあっていい。
そして、そのどこかに、あなたの声が響く席がある。

もし、勇気を出して扉を開いたなら、
あなたのその一歩は、きっと誰かの希望にもなります。

まだ何者にもなっていないあなたも、
何度も挑戦しているあなたも、
もう一度立ち上がろうとしているあなたも。

この旅に、あなたの席はちゃんと用意されています。

いつ来ても、遅すぎることなんてありません。
この風景のなかに、あなたの歩幅で歩いてほしい。
私たちは、それを心から歓迎します。

ようこそ。
今日から始まる、あなたの物語へ。

第21章|母語を愛せる人が、英語も愛せる

英語を話せるようになるには、どうすればいいですか?
そんな問いに、EARTHIANSでは、少し変わった答えを返すことがあります。

「英語を学ぶ前に、まず日本語を愛してみてください。」

それは逆説のようでいて、本質に限りなく近いアプローチです。
英語が思うように話せない人の多くは、実は英語の問題ではなく、
**「そもそも“自分の言葉”を持てていないこと」**に悩んでいます。

言いたいことがうまく言葉にならない。
気持ちを伝える以前に、自分の考えがまとまらない。
なにを話していいのか、自分の中にある“想い”が掴めない。

それは、英語力ではなく、母語との距離感の問題です。


私たちの母語である日本語は、世界的にも非常に特異な言語です。
音のやわらかさ、文法の自由さ、助詞による微細なニュアンスのコントロール。
そして何より、“余白”と“察し”の文化

曖昧なまま受け止め、言葉にしないことで心を守る。
「言わなくても分かる」が成立する世界で育った私たちは、
知らず知らずのうちに、言葉を内側に折りたたむようにして生きています。

その結果、自分の気持ちを言語化することに、どこか怖さや抵抗を感じてしまう。
でも、だからこそ――

日本語という宝石箱を、もっと開いてほしい。

あなたの中には、すでにたくさんの言葉が眠っています。
日常のなかで無意識に選んでいるフレーズ。
誰かにもらった、忘れられない一言。
幼いころに覚えた、涙が出るようなことば。

それらはすべて、**あなたという人間をかたちづくる“言葉の結晶”**です。


では、英語は何なのでしょうか?

英語は、“風”のような言葉です。

論理的で、構造が明確で、曖昧さを嫌う。
「言葉にして伝えること」そのものが重視される言語です。
だからこそ、英語は自分の想いを“外側”に運んでくれる。
誰かに届くための風。
世界へ広がるための通路。

でも、どんなに風が吹いても、運ぶものがなければ意味がありません。

もしあなたの中の宝石箱が空っぽなら、
英語はただ通りすぎる風になるだけ。
でも、あなたの中に、確かな言葉と想いがあれば、
英語はそれを世界に運ぶ、美しい風になります。


EARTHIANSでは、英語を“道具”として教えるのではなく、
「自己表現のための翼」として扱います。

その翼を育てるには、まず「自分の言葉」が必要です。
そして、自分の言葉を見つけるには、
母語である日本語と、ていねいに向き合う時間が必要なのです。

本を読む。
日記を書く。
誰かと、心を込めて話す。
文章の余韻に浸る。
小さな言葉の違いに、耳を澄ます。

そのすべてが、英語力を底上げする“土壌”になります。


語学は、スキルではありません。
「言葉に対するまなざし」こそが、すべての出発点です。

母語を大切にできる人は、第二言語にも敬意を持てる。
母語で自分を表現できる人は、英語でも自由になれる。

だから、焦らなくていい。
英語の前に、日本語と、あなた自身の感性と、もう一度出会ってみてください。

午後を愛せる人は、きっと風をも愛せる。
そしてその風が、あなたを遠くへ連れていってくれます。

第22章|どんなときも、学びの旅から帰ってこられる場所

学びの旅に、迷い道はつきものです。

やろうと思っていたのに、忙しさに流されてしまった。
やっと始めたのに、思うように進まなくて自信をなくした。
もう一度挑戦したいけど、また途中でやめてしまうのが怖い──

そんな思いを抱えている人は、きっと少なくありません。

けれど、どうか知っていてほしいのです。

学びは、いつでも帰ってこられる場所だということを。

一度離れたからといって、それが終わりではない。
遠ざかった日々があったからこそ、もう一度出会える“深さ”があります。
焦ることなく、比べることなく、
ただそっと戻ってきたその瞬間から、旅はもう再び始まっているのです。


学びというものは、直線ではありません。

まっすぐに積み上がっていくものでも、
前に進むことだけが正解でもない。
むしろそれは、螺旋のように巡る旅に近いのかもしれません。

前に進んでいるように見えて、
実はまた、同じ場所に戻ってきたように感じることもある。
でも、その“同じ場所”に立っているあなたは、
かつてのあなたとは少し違う。

時間が経ったことで、視点が変わった。
経験を経たことで、理解が深まった。
忘れていたことが、今あらためて心に響いた。

そうやって、**学びは“やり直すもの”ではなく、“味わい直すもの”**になっていきます。


EARTHIANSという場所は、まさにそんなふうに、
戻ってこられるための空気を大切にしている空間です。

ここには、途中で止まってしまったことを責める人はいません。
「また来てくれて、ありがとう」
「ここに戻ってきてくれて、うれしいよ」

そんな空気が、静かに満ちています。

学びを再開するのに、資格はいりません。
準備も、勇気も、完璧なモチベーションもいりません。
必要なのはただ、「もう一度やってみようかな」という小さな気持ちだけ。

そして、その気持ちを灯しなおすために、
このジャーナルがあり、
このラウンジがあり、
この風景があるのです。


人生にはいろんな季節があります。

たくさん吸収できる時期もあれば、
一文字も読む気になれない時期もある。
夢中で学べる日もあれば、
学ぶことさえ負担に感じる日もある。

でも、それでいいのです。

人はいつでも、戻ってこられると感じたとき、
初めて自由に飛べるようになる

学びに“卒業”がないのと同じように、
学びに“失格”もありません。

あなたがこの場所に戻ってきたとき、
私たちはそれを、再出発とは呼びません。
それは、あなたにとっての旅の続きなのです。


だからこそ、どうか安心していてください。

あなたがどれだけ遠回りをしても、
どれだけ立ち止まっても、
この場所は、あなたのことを待っています。

学びは、あなたを責めたりしない。
ただ、静かにドアを開けてくれる。

そしてこう囁くのです。

「ようこそ、おかえりなさい。」
「またここから、一緒に旅を始めましょう。」

第23章|英語と生きる=自分と和解すること

英語を学ぶと、思いがけず“自分”と出会うことがあります。

うまく話せない自分。
単語が出てこない自分。
恥ずかしくて声が小さくなる自分。
間違いを恐れて黙ってしまう自分。

「こんなはずじゃなかった」と思うかもしれません。
「私は英語が苦手なんだ」と、早々に決めつけてしまう人もいます。

でも、その出会いこそが、本当の学びの始まりなのです。

英語を学ぶということは、
「理想の自分」と「今の自分」のあいだで揺れながらも、
そのギャップごと自分を引き受けていく過程
でもあります。

それはまるで、
自分の中にいる“声にならなかった自分”と、
ようやく静かに話しはじめるような感覚。


EARTHIANSが大切にしているのは、
英語を“話すこと”よりも、“感じること”。
“理解されること”よりも、“自分を理解しようとすること”。

英語学習とは、誰かと話す前に、
まず“自分の心と対話する時間”であると、私たちは考えています。

思うように言えなかった自分。
間違えたことが悔しかった自分。
他の人と比べてしまった自分。
進まない日々に落ち込んでしまった自分。

そういう一つひとつの感情を、見て見ぬふりをせずに、
「そうだね、今はそう思ってるんだね」と受け止めること。
それが、“和解”という学びの核心なのかもしれません。


言葉を学ぶことは、
新しい言語体系を頭に入れることではありません。

言葉とは、自己の表現であり、世界との架け橋です。
でも同時にそれは、自分という存在の“温度”を知る作業でもあります。

自分は、どう感じたときに言葉が詰まるのか。
どんなときに、自分の本音をうまく出せないのか。
何を言いたいのに、言えずにいるのか。

英語を学ぶことで、そうした“自分の輪郭”が
少しずつはっきりと見えてくるようになります。

そのとき初めて、英語は「試験のための知識」から、
「人生を整えるためのツール」へと変わっていくのです。


英語ができるようになると、
世界は広がっていきます。

でもそれは、自分を否定して乗り越えたからではなく、
“そのままの自分”を抱きしめた先にある自由
なのです。

できないことも、わからないことも、
全部ひっくるめて、「それが今の自分だ」と受け入れたとき、
人は本当の意味で、言葉を持てるようになります。

それは、完璧な英語ではなくてもいい。
たどたどしくても、自分の気持ちに嘘のない言葉。
そういう言葉こそ、誰かの心に届く力を持っています。


英語と生きるとは、
世界とつながる前に、まず自分自身とつながること。

EARTHIANSでは、英語をそのための“翼”として育てていきます。

それは、誰かに勝つためでも、
誰かを説得するためでもなく、
**「自分と和解し、もう一度歩き出すため」**の翼です。

どんな英語よりも、まずは自分の心に耳を澄ませてみてください。
自分を知るほどに、あなたの言葉には、あたたかさと強さが宿っていきます。

第24章|この場所を選んだ者たち|推薦者たちの言葉

言葉は、ひとりで磨けるものではありません。
学びもまた、誰かとの出会いのなかで深まっていきます。

EARTHIANSという空間が、ただの学び場で終わらないのは、
ここを見つけ、選び、静かに根づいていった人たちの存在があるからです。

彼らの声は、賛美というより“証言”に近いかもしれません。
安心と誇り、自由と誠実──
この場所を歩んできた者たちが残してくれた、
いくつかの言葉をご紹介します。


⬘ メディアとしての推薦の声

R.S.(言語哲学者・東京)
「EARTHIANSは、“英語を学ぶ”という体験を、人生の美学として昇華している。知性と感性が交差する、希少なメディアです。」

M.F.(編集者・文化出版)
「このジャーナルには、“黙って読みたくなる静けさ”がある。学びという言葉が、やさしくて上品な響きを持って戻ってきたようです。」

Y.T.(元新聞記者・エッセイスト)
「商業と学問のあいだに、こうした温度のある場所ができたことは希望です。何度も戻って読みたくなる文章には、呼吸があります。」

S.Y.(詩人・翻訳家)
「英語を“音のデザイン”として捉えながら、日本語の奥行きにも触れる。こんな風に“母語と出会い直す”学びがあってもいい。」


⬘ EARTHIANSで学ぶ人たちの声

M.K.(医師・40代)
「医療の現場で、患者さんと外国語で話すことの難しさを痛感していました。ここでは言葉そのものと、もっと深く向き合えています。」

K.Y.(商社勤務・30代)
「正直、英語は得意でした。でも、EARTHIANSで“ことばに責任を持つ”という姿勢を学んでから、自分の話す英語が変わった気がします。」

A.K.(主婦・50代)
「家事や育児のなかで“学ぶ時間”をあきらめかけていました。でもここに出会って、“自分の声”をもう一度持てるようになりました。」

M.C.(大学院生・20代)
「帰国子女ですが、英語で話すのが苦手でした。EARTHIANSは、英語よりも“対話”を大事にしてくれた。だから、自然に言葉が出てきました。」

N.U.(元エンジニア・60代)
「“今さら英語なんて”と思っていた私にも、席が用意されていた。年齢ではなく、“学びたい”という気持ちに灯をともしてくれる場所です。」

D.F.(建築士・40代)
「図面だけでは伝えきれない“思い”を、言葉にしたいと思っていた。ここでの学びは、私の表現に立体感を与えてくれました。」

第25章|すでに、あなたもEARTHIANSである

ここまで歩いてきたあなたに、ひとつ伝えたいことがあります。

あなたはもう、アーシアンズです。

それは、誰かから与えられる称号ではありません。
試験に合格しないともらえない認定でもない。
ここまで読んだ、あなた自身の時間と感情こそが、
“地球人として学び続けるあなた”の証明なのです。


英語が話せるかどうかは関係ありません。
留学経験があるか、発音がきれいか、資格を持っているか──
そんなことは、ここでは大きな意味を持ちません。

なぜなら、アーシアンズとは「学び方のスタイル」ではなく、「生き方の姿勢」だから。

英語を通して、世界とつながりたいと思ったこと。
自分の言葉で、人生をひらいていきたいと思ったこと。
「今の自分から、少しでも前に進みたい」と願ったこと。

そのすべてが、あなたをアーシアンズにしています。


翼は、背中に生えてくるものではありません。
自分の声に耳を澄ませたとき、
新しい言葉に手を伸ばしたとき、
旅を始めたいと思ったとき、
その瞬間、あなたの中に静かに宿るもの。

目には見えなくても、
誰かと比べられなくても、
あなたの歩みは、確かに“翼”です。

そしてその翼は、あなたをどこへでも連れていける。


アーシアンズとは、
この地球で、境界を超えて学び続ける人のこと。

国籍や年齢や職業では測れない、
**「言葉を持って、自分を生きようとする意志」**のこと。

ここまで一緒に歩いてきたということは、
あなたもまた、すでにその風景の一部なのです。


もしかしたら、まだ自信がないかもしれません。
学びが続けられるか、不安があるかもしれません。

でも、安心してください。

EARTHIANSという世界は、完璧な人のためにあるのではなく、
「これからの自分に希望を持ちたい人」のために、ひらかれています。

英語を学ぶことは、自分を見つめること。
自分を見つめることは、やがて誰かを理解することへつながる。
そしてその先に、新しい地平が広がっていく。

あなたがいま感じている、
その少しのときめきと、ほんの少しの勇気。
それこそが、アーシアンズの証です。


だから、もう一度言います。

あなたは、すでにアーシアンズです。

どこにいても、何をしていても、
この言葉が、あなたの背中にそっと風を送ってくれますように。

第26章|風が、あなたをここへ連れてきた

この場所に辿り着いたのは、偶然だったかもしれません。
何かを探していたわけでもない。
ただ、たまたま目にした投稿。
誰かから聞いた名前。
ふとしたクリック。
あるいは、言葉にできない違和感の先にあった、ひとつの風景。

でも今、あなたはここにいます。
EARTHIANSという名の、まだ名づけられたばかりの世界の片隅に。


私たちは、よく“英語と生きる”と言います。
それは、英語が人生を飾るスキルだからではありません。
英語は、ときに他人との距離を測り、
ときに自分の声を知るための鏡になります。

誰かに届く言葉を探すことは、
同時に“自分自身に届く言葉”を探すことでもある。

だから英語を学ぶことは、
人生の速度を落とし、
耳を澄まし、
ひとつの言葉を、大切に扱う“生き方”そのものなのです。


EARTHIANSが描いている未来は、特別なものではありません。

有名になることでも、
巨大なシステムになることでもない。

私たちが目指しているのは、
**ただ「学びが日常の中に在る世界」**です。

少し疲れたときに、言葉で深呼吸できる場所。
誰かの旅に、自分の物語がそっと重なる場所。
何度でも戻ってこられる、“安心の風景”としての学び。

教える者と教えられる者のあいだに境界をつくらず、
一緒に旅をしていけるような“共学の空気”。

それは、変化し続けるこの時代のなかで、
小さくても確かな“灯り”になれるはずだと信じています。


そして、もしこの場所が、あなたにとって
ひとつの希望や、少しの安心になったのなら──

それは、風があなたをここへ連れてきてくれた証です。

言葉では説明できないことが、人生にはたくさんある。
でも、その“説明できなさ”こそが、真実の証になることもある。

あなたとEARTHIANSが出会ったことも、
きっとそのひとつ。


この旅は、まだ終わりません。

むしろ今、ここで息を吸い込んだあなたが、
どんな言葉を携えて歩いていくのか──
その続きを、私たちは静かに見守っています。

英語と生きるという選択は、
ただ学びを積むだけではなく、
未来へ向かって“翼をゆだねる”ことでもあります。

その翼が、誰かの言葉を運び、
あなた自身の人生を少しずつ遠くへ連れていくように。

EARTHIANSは、これからも風のように、
そっとあなたの旅に寄り添っていきます。

ようこそ、ここまで。
そして、ようこそ、これからへ。

第27章|ここは、風のはじまり

終わりのように見えて、本当は、ここがはじまりなのだと思います。

あなたが今、こうしてこの最終章にたどり着いたこと。
それは「すべてを読み終えた」という達成ではなく、
「これからどう生きていこうか」と
新しい風を胸に吸い込んだ、ただそれだけのこと。

けれど、その“ただそれだけ”が、人生を変えていくのです。


英語を学ぶということは、
単に異なる言語を身につけるということではありません。
それは、自分の言葉に耳を澄まし、
誰かの言葉を深く受けとめようとする姿勢を育てること。

もっと自由に話せるようになりたい。
もっと世界とつながってみたい。
もっと自分らしく生きてみたい──

そんな願いが、ひとつずつ形を持ち、翼になっていく。

ここEARTHIANSは、その旅のはじまりを、
いつも静かに見守っている場所です。


たとえば、ここに来た日のことを思い出してみてください。
何を期待していたのかさえ、うまく言葉にできなかったかもしれない。
でも、どこかで確かに感じていたはずです。
「この場所に、何かがある」と。

それは、偶然のようでいて、きっと必然だった。

あなたがふと立ち止まったページ。
そこで心にふれた一節。
それを大切に思ったあの瞬間から、旅は始まっていたのです。


このメディアで綴られてきた数々の言葉は、
あなたの内側の風にふれて、少しだけ景色を変えましたか?

大丈夫。変わっていなくても、かまいません。
変わろうとしている気持ちさえ、まだなくても、かまいません。

この場所が伝えたかったのは、
「変わること」ではなく、「風の存在を信じること」。

風は見えない。
でも、確かに吹いている。
あなたがいま感じているものも、きっとそのひとつ。


これまで綴られてきた章の数々は、
あなたの旅の“地図”であると同時に、
あなた自身の“記憶”でもあります。

躓いた日。進めなかった日。
うまく話せた日。少し誇らしくなれた日。
何もできなかったけど、なぜかまた来たくなった日。

そのすべてが、「あなただけの旅路」だったのです。

そして今、あなたはこの章にいます。
最終章にして、出発点。

ここは、終わりではありません。
ここは、風のはじまり。


EARTHIANSという空間は、これからも続いていきます。
誰かの最初の学びの扉として。
誰かの歩みの寄港地として。
そして、また誰かの「帰ってこられる場所」として。

ここには、時間に縛られない言葉があり、
声にならなかった想いが静かに眠っています。

あなたが、またいつかふと戻ってきたとき。
そのときのあなたにとって必要な言葉が、
変わらずここに在り続けることを、私は願っています。


だから、どうか安心して羽ばたいてください。
あなたには、もう翼がある。
それは完璧な英語力ではなく、
自分自身を信じようとする力としての翼です。

言葉を信じるということは、
自分の可能性を信じることと、とてもよく似ています。

不安になったら、風を思い出してください。
あなたをここへ連れてきた、あの小さな風を。

その風は、いつも吹いています。
あなたの背中に、
あなたの胸の奥に、
そして、あなたのこれからの日々のなかに。


ここは、風のはじまり。
あなたの旅は、まだまだこれからです。

たとえどれだけ遠くに行っても、
このラウンジはいつでも、
あなたを迎える準備をして待っています。

ありがとう。
そして──
風に抱かれて、あなたの物語がはじまりますように。

エピローグ|あなたの旅に、祈りを込めて

本を閉じて、ふとまわりを見渡せば、
さっきまでの風景とは、どこか違って見えるかもしれません。

けれど、変わったのは世界ではなく、
あなたの中に吹いた風のほうかもしれません。

物語から、日常へ。
夢中で読んだ章をあとにして、
また今日の予定や日々の営みに戻っていくあなたへ。

この一冊の旅が、あなたの中に、
どんな“余白”を残したでしょうか。


英語を学び続けることは、ときに孤独です。
思うように話せなかったり、
誰かと比べて落ち込んだり、
時間が取れず、なかなか前に進めなかったり。

そんな日々の中で、
**「自分には、ちゃんと翼がある」**と信じ続けるのは、簡単なことではありません。

けれど、どうか思い出してください。

この旅の中で、あなたはもう、
何度も自分の中の“風”に出会ってきたはずです。

静かに吹く、言葉の風。
誰かの物語にふれたときに、少しだけ揺れた心の葉。
読み終えた章の最後に、じんわりと広がった何か。

それらはすべて、あなた自身の旅の証です。


英語学習は、何かを“達成する”ためだけの道ではありません。

それは、
「自分の声を、世界に届けていくこと」
「世界の声を、ありのままに受けとめること」
そして、
**「そのどちらにも、心をひらいていく勇気を育てること」**です。

今日うまく話せなかったとしても、
今すぐ上達の実感がなくても、
それでもあなたの中では、
確かに言葉が育っている。

だから、焦らなくていい。
完璧じゃなくていい。
今日のあなたができることを、ひとつ、ただ静かに続けてみてください。


たとえば──

お気に入りの英語のフレーズを、そっとノートに書きとめる。
眠る前に5分だけ、英語のポッドキャストを聞いてみる。
知っている単語を使って、自分のことを英語で独り言してみる。
何もできない日には、ジャーナルをひとつだけ読みに来る。

そのどれもが、
あなたの旅の、立派な一歩です。


「学び」とは、目に見える成果だけでは測れません。
風のように、見えないところでじっくり吹き続け、
あるとき突然、やさしい追い風になる。

あなたが、
そうした“見えない追い風”の存在を信じていられますように。

そして、また風が巡る日に、
この場所に戻ってきてくれたなら、
私たちは変わらず、ここで言葉を灯し続けています。


物語は終わりました。
でも、あなたの人生は、続いていきます。
英語と共に歩く日々も、まだまだこれからです。

風が吹いたら、そっと耳を澄ましてください。
その音の中に、あなた自身の声が、
確かに響いているはずです。


あなたの旅に、祈りを込めて。
そして、またどこかで。

あなたの旅に、祈りを込めて。
そして、またどこかで。

風の向こうに、きみの名前をそっと置いていく。
もう届かないかもしれないと分かっていても、
それでも、やさしく送りたい。

言葉は、翼になる。